労働安全衛生総合研究所

蒲原沢土石流災害と労働安全衛生規則の改正(その2)

 前回に引き続き、土石流災害と法令改正について、お話しします。

   「土石流」とは、土砂又は巨れきが水を含み、一体となって流下する現象で、いわゆる、河川の洪水や泥流と異なり、そのエネルギーは膨大なもので、家屋はもちろん、コンクリート製の砂防ダムまで破壊するケースがあります。

 専門家からなる調査団の検討事項としては、今回の土石流発生のメカニズムや原因、予測可能性(発生までの雨量、融雪量等)、再発防止対策(警戒体制、避難体制等)が挙げられました。

 まず、発生のメカニズムですが、前年の豪雨で多くの地下水を含み不安定になっていた上流の標高1300m付近の山肌斜面が崩壊し、降雨、融雪水とともに土石流となったものと推定されました。また、工事発生場所の土石流発生前の降雨量や融雪量は、過去の土石流と比較して多いものではなく、上流の崩壊斜面が不安定化していたことが土石流発生に大きく寄与しており、工事前の事前調査や工事中の降雨量等の調査結果から、当時としては、土石流発生の危険性を把握することは、必ずしも十分にできる状況にはなかったとの認識でした。

 再発防止対策については、「土石流危険河川」で工事を行う場合は、

  1. あらかじめ、上流及びその周辺の状況を調査すること。
  2. 同工事においては、降雨量の把握方法、融雪や地震時の措置、土石流の前兆現象を把握した場合の措置、土石流発生時における警報及び避難方法、避難訓練の内容及び時期等について明文化しておくこと。
  3. 作業開始前及び作業開始後に、定期的に降雨量を測定すること。
  4. 降雨時に作業を行う場合には、監視人を配置すること。
  5. 土石流発生時に関係労働者に速やかに知らせるため、警報設備を設置すること。
  6. 土石流発生時に関係労働者を安全に避難させるための設備を設けること。
  7. 避難訓練を定期的に行うこと。

などの提言をいただきました。

 我々は、調査団からいただいた提言を基に、平成9年の末から、労働安全衛生規則の改正案の作成に着手しました。当時の法令改正の手順としては、隣の計画課法規係の法令審査、大臣官房総務課の法令審査を経て、関係省庁と協議し、協議がまとまった段階で、改正法令として労働大臣(当時)が官報公示を行うという手順でした。結構、関門が多く、もちろん精査される回数が増えるほど、いい規則改正ができますが、条文の書換え、説明資料の作成等に要する作業量は、膨大となります。その際、後ほど触れますが、法令用語になじまないものや、規則で書くには用例が無いものなどについては、施行通達という形で、本省労働基準局長から都道府県労働基準局長(当時)あて発出します。

 まず、対象となる「土石流危険河川」を、どう定義付けるかが、最初の関門でした。海近くのゆったりとした、河川の下流では土石流の発生は、まずあり得ないでしょう。そこで、工事箇所の河川の上流側の流域面積と一定区間の河床勾配を条件としました。この数値は、過去の文献や建設省(当時)の把握している災害事例から決定しました。その他、雨量の測定方法や、工事を中止するときの具体的な雨量の基準など、発注する立場にある建設省との整合性を取る必要があることから、毎晩、夜中まで、両省間で質問と回答のやりとりを経て、規則、通達が完成しました。

 建設省も、労働安全衛生規則が遵守できるような発注条件を建設業者に示す必要がありますから、両省の合意は、必要不可欠です。幸い、建設省も、大規模な土石流災害の再発を避けることが重要と考え、数値基準が原案から一部変更になった箇所もありましたが、最終的には、当方の細かな規則、通達のほとんどの部分に理解を示してくれました。

 現行の労働安全衛生規則の第12章が、「土石流による危険の防止」です。この規則のおかげで、工事現場における土石流災害は、ほとんどなくなったのではないでしょうか?

 条文、通達に加え、ガイドラインも作成しましたが、個々の事項は、今となっては、河川工事におけるリスクアセスメントの具体的方法を示したものとも考えられます。

 したがって、昨今、厚生労働省も我が研究所も、様々な危険有害作業におけるリスクアセスメント手法を開発していく方向にあります。労働災害の発生を踏まえた後追い的な法令改正は、これからの行政手法の中心ではなくなっています。ただ、当時は、膨大な労力を使って朝から夜中まで各省と議論し、法令改正をするのが労働災害防止対策の王道でした。今となっては、懐かしい思い出です。

(理事 高橋 哲也)

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