労働安全衛生総合研究所

行動を科学する‐「行動分析学」という学問‐動物実験から作業者への行動分析学的介入実験まで

1.はじめに


 私の専門分野は、心理学の領域の一つである「行動分析学」と呼ばれるものです。行動を科学的に捉え、「測定」「評価」し、周りの環境や行動自体を変化させ、より好ましい状況を作り出していこうとする学問です。現在、ごく低濃度の化学物質の「ニオイ」が、記憶・学習機能にどのような影響を与えるのかを、行動分析学的試験法を用いて動物実験で調べています。また、ごく最近になって作業者の行動に対し行動分析学的介入実験を行い、安全装置の有効性を検証する試みを始めました。本コラムでは、はじめに動物実験の解説を行い、次に作業者への行動分析学的介入実験を紹介いたします。


2.ラットを使った化学物質のニオイによる記憶・学習機能への影響を調べる


 職場で使われる化学物質、特に有機溶剤等は、健康影響が生じないとされる規制値以下の低濃度でも、「ニオイ」で不快感や病的状態が生じることが報告されています1)。ヒトの研究においても、ニオイ提示後に脳波の変化2)や情動や注意力の変化を感じたとの自己申告3)があります。これらの報告から、ニオイが作業現場等で特に必要とされる記憶・学習機能にも影響を与える可能性が疑われていますが、科学的な根拠が示された例は今まで殆どありません。というのも、ヒトではニオイに対する履歴(経験)がそれぞれ異なり、情動反応や嗜好についても個体差が大きいため、ニオイを使用した実験をヒトで行うには困難が伴います。そこで、ニオイへの履歴や嗜好性等の個人差を排除し、客観的に影響を評価するために動物実験が有効と考え、職場で多用される有機溶剤であるアセトンに着目し、作業遂行(学習行動実験)中の動物に許容濃度以下のアセトンを提示し、記憶・学習機能に与える影響をオペラント実験という行動分析学的実験法で調べました。テスト物質としてアセトンを選んだ理由は、管理濃度・許容濃度がそれぞれ500ppm及び200ppmと比較的高く、ニオイを感知する濃度が42ppmと著しく小さく、健康に影響のない濃度でも「ニオイ」として感じるため、実際の状況に近いと思ったからです。アセトンは蒸留水で300μMに希釈して綿花に浸漬し、穴あき容器に入れて実験箱内に吊るしました。アセトンの影響をより客観的に捉えるために、比較物質としてラットが生得的に忌避するニオイである2,4,5-trimethyl-3-thiazolin(TMT)と、嫌悪感を示さないといわれる2-phenylethyl alcohol(PEA)を同じ濃度で使用しました。TMTはラットの天敵であるアカギツネの肛門腺からの分泌物、PEAはバラの香りの主成分です。どちらも心理学領域のニオイの研究でよく使われています。
 まず、アセトンはラットにとっていいニオイなのでしょうか、それともいやなニオイなのかでしょうか?それを調べる方法としてPreference/Avoidance(P/A)テストというものがあります。P/Aテストとは、図1のような実験装置を用いた行動実験です。



図1 Preference/Avoidance テスト装置。床から50㎝の高さに配置した壁付き走路(長さ120cm×幅10cm×壁の高さ40cm)。走路の片端にニオイ刺激、反対側にコントロール(蒸留水)を置き、走路中央に乗せたラットが計測時間(3分間)のうちどちらの走路側に長く滞在したかによりニオイに対する嗜好性を測る。

 走路の片端にニオイ刺激を置き、反対側には「ニオイなし(蒸留水)」を置き、走路中央に乗せたラットが計測時間(3分間)のうちどちらの走路側に長く滞在したかによりニオイに対する好き嫌いを測るものです。本研究では、ニオイ物質であるアセトン、TMT、PEAそれぞれを蒸留水と対にして提示しました。ニオイ物質と蒸留水の位置を入れ替え、さらに動物の頭部の向きも交代させて同じニオイに対し3試行行い測定しました(図2)。



図2 Preference/Avoidanceテスト結果。ニオイ物質側のアームでの平均滞在時間±SE(秒)。WAT; 統制群(蒸留水)、PEA; 2-phenyl ethyl alcohol提示群、ACE; アセトン提示群、TMT; 2,4,5-trimethyl-3-thiazolin提示群。CAP; カプサイシン提示群。各群6匹。*; > 0.05(vs. 統制群)。

 その結果、アセトンを提示した側での滞在時間は蒸留水側に比較して有意に短く、TMTも同様の結果となりました。一方、PEAについては蒸留水側と同じくらいの滞在時間を示していました。これらの結果を合わせると、ラットはTMTと同様にアセトンに対して嫌悪性を示し、PEAには水と同様の嗜好性を示すことが推測されました。このP/Aテストに限り、カプサイシンという唐辛子の辛み成分も使用しました。カプサイシンは全く揮発しないことは知っていましたが、水溶液で使用することが頭からすっかり抜けていて実験後に初めてこの実験には向かないことに思い至りました。時にはこんな失敗もします。実験を行う際の下調べと実験のシミュレーションは念入りに行う必要があることを痛感しました。
 次に、いよいよ学習記憶機能を調べるオペラント実験です。ラットに対して給餌制限を開始し、非制限時体重の80%になった時点で実験を開始しました。この手続きは、ラットを空腹にしておいて実験中に与える餌をより効果的にする、また、体重が80%ほどの方が活動性が高まるという理由から一般的に行っています。実験装置は、図3のような2つのレバーが実験箱内についたオペラント実験箱(室町機械)です。



図3 ラット用オペラント実験箱(幅50cmx奥行き28cmx高さ32.5cm、MSK-001Rモデル、写真提供:室町機械提供)を用いた。実験箱は個別に換気装置つき二重壁構造の防音箱に収納した。報酬は実験用ペレット(45mg、Noyes社)を使用し、ComPACT(室町機械)で制御した。



 レバー押しが正しくできた際には報酬として餌が与えられます。はじめに、ラットにレバーと餌の関係を教える訓練を行いました。何も知らないラットが、レバーを押すと餌がもらえることを学習するまでに約10分、最長でも30分あれば足ります。すごいと思いませんか?ラットは私たちが考えるよりもはるかに頭のよい動物なのです。レバーと餌の関係をいったん学習してしまえば、様々なレバー押しのパタンをあっという間に覚えてしまいます。本研究では、記憶・学習課題として2種類を用意しました(図4)。課題Aは、定率(Fixed ratio; FR)50強化スケジュールと呼ばれるものです。すなわち、ラットがレバーを50回押すごとに実験用餌一粒がもらえる課題です。この課題では、多く餌をもらうために高速でレバーを押すようになるため、作業量を見ることができます。課題Bは、一定以上の時間間隔をおいてレバーを押したときに餌がもらえる、低率分化強化(Differential reinforcement of low rate; DRL)スケジュールと言い、間隔は10秒としました。この課題では、レバー押しをしてから次のレバー押しまで10秒以上の間隔があった場合に餌をもらえます。この課題では、レバーをゆっくり押すようになるため、効率の良い作業のためのタイミングを見ることができます。実験が始まると、FR50ではレバーの上にある合図ランプが点灯し、DRL10sが始まると合図ランプが暗転します。このランプの変化にどれだけ早く気が付くかによってラットの注意力を見ることができます。はじめにFR50を5分間→DRL10sを10分間行い、終わったと同時にニオイを実験箱内に開放した後に再びFR50を5分間→DRL10sを10分間行い、ニオイを開放する前と後のそれぞれの学習課題の変化の有無を調べました。いつもFR50が最初でDRL10sがその次と決まってしまうと、望ましくない順序効果による影響が出てくるかもしれないので、動物の半数にはDRL10sを10分間→FR50を5分間、ニオイを開放してDRL10s10分間→FR50を5分間という順番でも実験を行いました。ラットがそれぞれの課題でニオイ提示前後にどれくらい餌をもらっているかを図5に示しました。
 PEAとコントロール群は、ニオイの提示前後でもらっている餌の数に変化はありませんでした(データ表示なし)が、TMTとアセトンはFR50ではニオイ提示後にもらった餌の数が減少しています。逆にDRL10sでは餌の数が増加しています。この結果は、TMTとアセトンがラットのレバー押しに似たような結果をもたらしたことが初めに言えると思います。学習課題の内容については、TMTとアセトンのニオイによってFR50に対しては餌をもらえるレバー押しができなくなっているようです。反対に、DRL10sでのレバー押しがよりよくできるようになり成績が上がってように見えますが、決してそうではなく、ニオイによって素早い動作でのレバー押しができなくなっている可能性があります。DRL10sについては、課題の性格上、ゆっくりとしたレバー押しが有利に働いたのでしょう。この推測を客観的に判断するためにも、さらに踏み込んだ行動実験が必要だと考えています。ラットの運動機能(筋肉)へのニオイの影響が出ているのかどうか、DRLスケジュール以外の課題への影響はどのようなものなのか、などの考察が必要だと考えています。



図4 実験内容


図5 1分間当たりのエサ獲得数(個/分)

3.作業者への行動分析学的介入


 現在、当研究所の機械安全の専門家と新たな試みとして作業現場で働く人に行動分析学的介入実験を行っています。機械安全の研究領域では、効率を落とさず安全に作業を行うことに焦点を当てています。例えば、図6のような作業現場があるとします。通常は一部の機械の点検作業や一部の製造ラインに不具合が生じても、全てのライン及び機械類を完全に停止させなければなりません。その間製造はストップします。しかし、図中の緑、赤、黄色のように柵内を3つのゾーンに分け、対象となるタスクに関連するゾーンに存在する機械の制御を行うことで、タスクに関連するゾーン以外の機械を可動状態にすることができます。しかしここで問題となるのが、「安全」です。仮にゾーン1で作業者が機械のメンテナンスを行っている時はゾーン2とゾーン3にある機械は可動状態となりますが、ゾーン間に設置している保護装置(ライトカーテン)が安全の監視を行っており、タスクに関係のないゾーンへの移動した場合は、そのゾーン内にある機械は非常停止状態となります。開発した”支援的保護装置(Supportive Protection System)”は、作業前にRFタグで対象となる機械に関連する作業者の資格を確認して、資格がある時のみ作業が許可されるため、資格のない作業の実行や、権限のないゾーンへの進入等は許可されません。また、柵内にいる作業者がすべて柵外へ移動することでシステム全体の再起動操作が許可されるため、死角のある部分に作業者が取り残されたまま機械が可動することはありません。詳細は機械安全の専門家が後日、当メルマガで紹介してくれると思います。私は、「タグをかざして中に入り作業をする」といった一連の作業を細かく分析し、タグをかざすことで生じる作業の生産効率の変化や一連の作業に対する身体的・心理的負担や支障がないかどうかを行動分析学的手法で検討しています。現在、実験に向けて様々な準備を行っている最中なので、検証方法や実験結果は次の機会に詳しくお知らせいたします。



図6 実験用の仮想的作業現場

左の緑のゾーン1にはベルトコンベアーと奥にプレス機を配置している。中央の赤いゾーン2では梱包作業が行われる。右の黄色はゾーン3で、ゾーン1と同じものが配置されている。


4.おわりに


 標的行動を的確かつ具体的に定義することによって、測定することが可能になります。行動を定量的に表すことで、言語を持たない動物のさまざまな変化を明確に数字で表すことができます。また、今まで経験によってなんとなく危険だ、あるいは安全だと感じていたことも「これをやれば○○%危険が回避できる」、「ここを改善すると○○倍の安全が担保できる」という数量的な安全評価が可能になるのではないかと考えています。そのために日々実験を重ねています。



参考文献

  1. Dalton PH, Jaen C. Responses to odors in occupational environments. Curr Opin Allergy Clin Immunol. 2010; 10(2):127-32.
  2. Sakamoto R, Minoura K, Usui A, Ishizuka Y, Kanba S. Effectiveness of aroma on work efficiency: lavender aroma during recesses prevents deterioration of work performance. Chem Senses. 2005; 30(8):683-91.
  3. 久保,吉原,古川.事前のラベンダーの香り暴露がネガティブな視覚情動刺激による疲労や神経内分泌システムの変化に及ぼす影響.自律神経機能異常を伴い慢性的な疲労を訴える患者に対する客観的な疲労診断法の確立と慢性疲労診断指針の作成. 厚生労働科学研究費補助金(障害者対策総合研究事業)研究年度終了報告書.2011; 59-62.



(産業毒性・生体影響研究グループ 主任研究員 北條理恵子)

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