労働安全衛生総合研究所

放射線の産業衛生

 レントゲンによるX線の発見(1895)、キューリー夫人による放射性同位元素の発見(1898)からわずか100余年という短期間の内に、人類は電離放射線(以下単に放射線)と様々な付き合い方をするようになったものだと改めて感心します。今更何を驚いているかと言われそうですが、その驚きの第一は、もちろん放射性物質の発見から僅か40年余、原子核分裂の発見から僅か7年で人類は原爆を使用してしまったことです。X線の利用技術の発達・普及だってそれに劣らず早かったといえます。

 現時点における我が国労働者の主要な放射線曝露源としては、原子炉、アイソトープ等の核分裂から発生するものと、X線や加速粒子線関係のものがあります。2020年現在、全世界の発電用原子炉は437基が稼動中ですが、我が国には33基の原子炉があるものの、稼働しているのは9基だそうです(日本原子力文化財団)。加えて、それより遥かに少ない研究開発用原子炉が稼動しています。アイソトープは、医療用の検査、治療、消毒に加え、非破壊検査、植物の品種改良など、使用する産業の種類はかなり多いですが、取り扱う人は研究者や熟練労働者など限られた専門家で、一般の労働者が曝露する可能性は高くありません。ただし、アイソトープ紛失などのミスがしばしば発生しており、廃棄物処理労働者がそれと知らずに取扱ってしまったり、看護師が治療用小線源カプセルをポケットに入れたまま長時間持ち歩くなど、例外も少なくありません。X線や加速器の場合も、アイソトープと使用実態は似ていますが、発生装置に通電しない限り、放射線が全く発生しないことが大きな違いといえます。

 放射線は自然界にも存在し、労働者は作業環境からの曝露に加え、同時にこのバックグラウンド放射線への曝露も受けています。場所によって土壌からのラドン発生が無視できないレベルになることはご承知のとおりです。このような場所での地下業務は高レベルの放射線曝露を伴います。また、超高空では宇宙線レベルが高く、国際線航空機乗務員の蓄積曝露線量が時々話題になりますが、宇宙飛行士の場合にはこれが現実問題となっています。日本人の場合、医療被曝がこれら自然放射線と比較してはるかに高く、職業性被曝の背景要因として無視できません。治療目的の照射を除いて、診断用だけで自然放射線の半分くらいを占めると推定されますが、CT検査を受けた場合にはこれをはるかに越えてしまいます。

 労働被曝以外のもう一つの重要な話題は、事故やテロの可能性です。我が国ではまだあまり大きく取り上げられていませんが、外国では核テロの可能性が真剣に議論されています。この対象としては、核兵器の使用はもちろんのこと、核爆発を伴わない放射能テロとも言うべき、高レベル放射性物質を通常爆弾で広範囲に拡散させるテロ(dirty bombとも呼ばれる)は、現実性が高いことから核爆弾以上に警戒されています。このような放射線の漏洩または拡散の非常事態に対して、我が国政府の対応として、全国を東西二つのエリアに分け、東半分は千葉の放射線医学総合研究所、西は放射線影響研究所を協力機関とする広島大学病院を第三次医療機関に指定しています。国際的には、WHOがREMPAN(Radiation Emergency Medical Preparedness Assistance Network)を設置して、世界中の16 collaborating centersと27 liaison institutionsのネットワークによる放射線非常事態に対する国際相互援助態勢を整備しています。

 本稿の主題は予防ですが、まず放射線による健康影響のメカニズムについて簡単に整理しておきます。放射線の生物に対する作用の本態は、細胞の構成要素である分子や原子に対する電離作用です。一定レベル以上の放射線照射の結果、細胞を構成するタンパク分子が電離によって破壊されて細胞死が起きるのです。この結果現れる症状が急性症状であり、脳障害、下痢、嘔吐など様々な症状が知られています。電離作用は細胞質だけではなく、当然遺伝子の損傷も起こすので、急性の細胞死を免れてもなお、細胞の新陳代謝や遺伝障害に繋がります。被曝個体内では、細胞分裂の盛んな組織ほど障害を受けやすいことは良く知られています。急性症状としては、東海村JCO事故被災者に曝露後1~2ヶ月後から死亡に至る過程で出現した、造血機能の低下による再生不良性貧血、腸管粘膜や皮膚組織の基底細胞死による潰瘍等の壮絶な複合的症状を想起させます。

 この急性症状は、反応の出かたに個人差が少なく、照射レベルに応じた症状が出現します。いわゆる量影響関係ですが、放射線医学領域ではこのような影響を「確定的影響」と呼んでいます。それに対し、DNA損傷だけが残り、しばらく潜伏状態が続いた後に発がんやその他の慢性疾患の増加に帰結することがあります。これらの異常発生はyes/noの世界であり、発生しなければ全く何の支障もありません。これを上記と区別して「確率的影響」と言っています。

 放射線による突然変異増加を利用した植物の品種改良や動物実験などから、遺伝メカニズムへの作用は明らかですが、原爆被爆者にはこれまでのところ遺伝影響の明らかな証拠は見つかっていません。少なくとも出生直後に発現する確定的影響は無いことが明らかになりつつありますので、後は恐らく確率的影響ですが、その有無が確定されるにはまだ長期間にわたる追跡研究が必要です。

 確定的影響には化学物質のように閾値が認められており、一定曝露線量以下では影響は認められません。と言うことは、いわゆる許容濃度の設定が可能だということになりますが、一方、確率的影響では閾値が認められていません。したがって、放射線防護の立場からは、閾値の無い直線の量反応関係を仮定することになっています。これは、LNT仮説(linear non-threshold)と呼ばれています。一方、化学物質と同じように、ホルミシス現象(ホルモンが語源)あるいはJカーブと呼ばれる量影響(反応)関係の存在を主張する学者もいます。これは、ごく微量の環境物質あるいは環境条件はかえって健康に有益であるとする仮説です。微量の放射線曝露でがん発生が減少するという報告などがあります。この他にも「ラジウム温泉」が広告になるくらいで、微量の放射線が健康に有益だと言う考え方はかなり昔から根強く存在します。

 つい先日私の知人から、父親から譲り受けたという大そう厳かな箱に入った1枚の布切れを見せられました。それは、ラジウム布ということで、かなり高レベル放射線を出すことが確かめられているそうです。箱の中に入っている効能書きによると、腰痛から捻挫など運動器の症状に対し、これを一定時間貼り付けておくだけでじきに直ると言うことです。実際その知人の話でも、これを使用した父親の場合、貼付後の皮膚は発赤し、その後短時間で症状は改善したそうです。はっきり記憶には無いようですが、かなりの高額で購入したという話を覚えていると言います。

 さて、放射線障害の予防ですが、この面ではICRP (International Commission on Radiological Protection)、国際放射線防護委員会が世界の防護基準の総元締めになっています。我が国の現在の労働安全衛生法、電離放射線障害予防規則の世界でも、防護(管理)基準はICRP1990年勧告に基づいています。ICRPは昨年、その後初めての勧告改訂を発表しましたが、防護概念や人間以外の環境に対する防護などの改訂が中心で、勧告値そのものの変更は行われませんでした。ICRPは一種の学会で、国際機関ではありません。しかし、放射線のリスクについて数値がわかっていなかった時代から、防護に対する指導的な役割を果たしてきたため、現在では半公的な機関として位置付けられています。

 放射線衛生関係ではICRP以外にも各種の国際機関が関与しています。WHOの役割は上述のとおりですが、国連にはUNSCEAR (United Nations Scientific Committee on Atomic Radiation) があり、純粋科学的な立場から、放射線の健康影響に就いて最新の科学的知見を総括する作業を続けています。ICRPはこのUNSCEARの報告に基づいて防護基準の検討をしています。両機関のこれら作業では、我が国の原爆疫学研究データから算出されるリスクが必ず参照されます。

 原子力関係では、もう一つIAEAの存在が、イランや北朝鮮の核開発疑惑に対する査察などで有名です。これは、冷戦時代原子力の平和利用を促進するために国連決議により設立された独立国際機関であり、目的どおり、核兵器の開発を看視しつつ原子力の平和利用を促進するという大変微妙な役割を演じています。したがって、各国の関心も高く、関係国際機関の中で予算や人材面では最も力を持っている機関です。IAEAの事務総長はノーベル平和賞受賞でも有名ですが、数人いる副事務総長の1人に通産省出身の谷口富裕氏が就任していることはあまり知られていません。私は放影研の理事長時代に谷口氏と3回ほどお会いする機会がありましたが、氏によるとIAEAの主要な任務の一つは核保有国の査察であり、日本は最も頻回に査察を受けている国だということです。保管しているプルトニウムの量が多いことなどが原因のようです。IAEAも最近は放射線防護に一役買っています。たとえば、ICRPの勧告を受けて、加盟国が実際に法整備を含めた国内放射線防護施策の整備を進めるに際し、これを円滑に行うためのガイドラインの出版や、技術者の研修などを手がけています。

 最後に、我が国労働者の放射線防護に関して重要な役割を果たしている「原子力労働者の被ばく線量登録管理制度」について述べます。この制度は、発がん性化学物質の管理にも有効ではないかと私は注目しています。

 原子力発電など原子炉関係の労働者には大きく2種類あります。第一は電力会社等原子炉を所有している事業者に所属する少数の専門技術者で、定常運転時に運転業務に就いている人達です。第二は、燃料棒の交換時に行われる点検・修理や改造工事などに参加する多数の臨時労働者です。このような定期点検・修理は、それぞれ専門性を要する業務ですが、その期間が終われば仕事は全く無くなるので、それらの専門業者は日本中の原子炉の定期点検に合わせて、計画的に次々移動することになります。これら作業には、大手製造業に所属する正式雇用の専門技術者に加えて、実際に工事に携わる下請け業者や臨時雇用労働者が多数参加しています。これら末端の組織で働く非正規労働者は、それぞれの地で働く際に、毎回所属企業が変るような場合も少なくありません。このような労働者はジプシー労働者と呼ばれ、かってはこれら労働者の被曝管理のずさんさが社会問題化したこともあります。

 原子力施設における放射線業務従事者の被ばく管理は、法律によって個々の原子力事業者が施設ごとに実施することになっています。しかし、原子力事業者の数が増え、上記のような労働者の移動実態が明らかになったため、一人ひとりの蓄積放射線被曝量が正確に全国規模で一元的に把握、管理できる制度の確立が望まれるようになり、この登録制度が発足したのです。この制度では、昭和52年以降に原子力施設で作業するようになった者は、(財)放射線影響協会に設置された放射線従事者中央登録センターに登録され、本人には放射線管理手帳が発行されます。センターには個人の被ばく線量管理上必要な記録が迅速に抽出できるように収録されており、個々の労働者を雇用しようとする原子力事業者の経歴照会に応じています。原子力事業者はこの制度に登録した労働者以外は雇用しないことになっているのです。


(労働者放射線障害防止研究センター センター長 大久保 利晃)

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